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ベイ・シティ・ローラーズ( Bay City Rollers )



アルバムリスト
歌手の紹介


ベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)は、イギリス・スコットランドのエディンバラ出身のポップ・ロック・バンド。

ベイ・シティ・ローラーズは、70年代半ばから若い女性を中心に人気になったアイドル・グループである。

概要・歴史

前身は1965年に結成された「サクソンズ(The Saxons)」というグループ。アラン(ベース)とデレク(ドラムス)のロングミュアー兄弟と4人の友人により結成され地元のパブ等で演奏するようになる。

タム・ペイトンがマネージャーになり、ロングミュアー兄弟は1968年にグループ名を「ベイ・シティ・ローラーズ」に改称。1971年夏にシングル「朝まで踊ろう(Keep on Dancing)」でデビューした。当時のリードボーカルはノビー・クラークであった。この曲は全英9位になるヒットとなり、のちにエリック・フォークナーが加入した。「ベイ・シティ」の名前はメンバーによると、アメリカ合衆国の地図を開きダーツの矢を投げたところ、矢がささった場所のミシガン州にBay City(ベイシティ)という名前をみつけ、これをグループ名につけた。この話は日本で放映されたテレビ番組でも、取り上げられたことがある。

マネージャーのペイトンは、幾度かのメンバーチェンジを行い、1974年にレスリー・マッコーエン(リードボーカル)、エリック・フォークナー(リード・ギター)、スチュアート・ウッディ・ウッド(サイド・ギター後にベース)、アラン・ロングミュアー(ベース)、デレク・ロングミュアー(ドラム)という5人編成になってから、「バイ・バイ・ベイビー」(1975)、「サタデー・ナイト」(1976)などのヒット曲を生み出し、本国イギリスを皮切りに、その後アメリカや日本など、世界中で人気を博し、日本でも度々公演が行われた。このころからの熱烈なローラーズ・ファンが、ラジオ・パーソナリティの山本さゆりである。「二人だけのデート」もヒットするなど大人気の中、年長者であるアラン・ロングミュアーが脱退した。そのあと、イアン・ミッチェル(ギター)が新たに参加するが、同じ年にミッチェルは脱退し、パット・マッグリン(ギター)が参加した。しかし、パット・マッグリンも短い期間で脱退となり、メンバーチェンジが激しい時期があった。日本では77年ごろまで、イアン・ミッチェルを中心に脱退したメンバーが結成したロゼッタ・ストーンの曲まで洋楽チャート番組にのるなど人気が持続した。だが、78年ごろには人気が落ちてしまった。

1978年秋の3度目の来日公演を最後に、レスリーが脱退。新たにラビットのダンカン・フォール(リードボーカル/ギター)が加入し、グループ名を「ザ・ローラーズ」に改称して活動を続けたが、1981年に解散した。

しかし、早くも1982年にはレスリーも参加して日本公演を行い、大盛況を得ている。これに気を良くしてか、翌年の夏、たった半年しか在籍していなかったイアン・ミッチェルとパット・マグリンも加えて東京で公演(パットいわく「やっぱり変な気がしたよ」。彼は前年にイギリス東芝の邦楽系レーベルから3度目のデビューをしていた)。同年12月には、イアンの元あったバンドにパットを加えて、横浜で公演(EPとLPも出ていた。好盤であったが、1枚で終わってしまった)。その2年後、BCRは再結成し、LPを1枚発表(日本のみ)。

その後、ボーカルのレスリーがリード・ギターのエリックとグループ名を巡って争ったことがあった。

1990年代になると『あの人は今!?』にも出演するなど、結局のところ繰り返し再結成は行われていたようである。初期のメンバーにはパイロットのデヴィッド・ペイトン、ビル・ライオールが在籍していた。ペイトンは日本でBeagle Hatとしても活動した。
メンバー

レスリー・マッコーエン(Leslie McKeown、1955年11月12日 - )(リードボーカル)
エリック・フォークナー(Eric Faulkner、1953年10月21日 - )(リード・ギター)
スチュアート・ウッディ・ウッド(Stuart 'Woody' Wood、1957年2月25日 - )(サイド・ギター、ベース)
アラン・ロングミュアー(Alan Longmuir、1949年6月20日 - )(ベース)
デレク・ロングミュアー(Derek Longmuir、1951年3月19日 - )(ドラム)
イアン・ミッチェル(Ian MItchell、1958年8月22日 - )(ギター)
パット・マッグリン(Pat McGlynn、1958年3月31日 - )(ギター)
ダンカン・フォール(Duncan Faure、1956年12月16日 - )(リードボーカル、ギター)

現在

最近のメンバー情報としては、レスリーがLes McKeown's Legendary Bay City Rollers、イアンがIan Mitchell's Bay City Rollersという名称でツアーグループとして活動している。

イアンは、2004年録音のライブCD「Live in Los Angeles」をリリースしている。

2007年3月20日、LAのロイターが伝えたところによると、未支払いとなっている印税数百万ドルをめぐって、メンバーは当時在籍していた米国のレコード会社を訴えた。ニューヨーク地裁に提出された訴状などによると、同グループは世界中で少なくとも7000万枚のアルバムセールスがあったにも関わらず、アリスタ・レコード社が過去25年余りの間に支払った印税は25万4000ドル(約3000万円)だったという。ソニーBMG傘下のアリスタ・レコードの広報は、この件についてノーコメントの立場をとっている。

オーストラリアで2007年8月から9月にかけて、Countdown Spectacular 2コンサートが開催された。このコンサートは、1970年代から1980年代に現地で放映されていた、『Countdown』と呼ばれるテレビ音楽番組のリバイバル・コンサートで、レスリーが元ベイ・シティ・ローラーズとして出演している。同コンサートでは「二人だけのデート」「Give a little love(恋をちょっぴり)」「バイ・バイ・ベイビー」を歌った。

2016年2月20-22日、レスリーとアランが来日し「Bay City Rollers JAPAN Tour」 が行われた。 20-21日の東京公演は「Mt Rainier Hall」(2日間4公演)、 22日の大阪公演は「Billboard Osaka」(2公演)。
ディスコグラフィ

エジンバラの騎士(Rollin')1974年
噂のベイ・シティ・ローラーズ(Once Upon A Star)1975年
青春のアイドル(Wouldn't You Like It?)1975年
青春に捧げるメロディー(Dedication)1976年
恋のゲーム(It's a Game)1977年
風のストレンジャー(Strangers in the Wind)』1978年
エレベーター(Elevator)1979年
ザ・ヒーロー(Voxx)1980年
リコシェ(Ricochet)1981年