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ジミ・ジェイミソン( Jimi Jamison )



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歌手の紹介


ジミー・ウェイン・ジミ・ジェイミソン(Jimmy Wayne 'Jimi' Jamison、1951年8月23日-2014年8月31日)はアメリカ合衆国の歌手、作詞作曲家。かつて100万枚以上を売り上げたロック・バンド、「ザヴァイヴァー」のメンバーだった。他に「コブラ」というバンドのメンバーでもあった。「ベイウォッチ」(水難監視救助隊の活躍を描いたテレビドラマ)のテーマ曲を書いて歌っていることでも知られている。

経歴

ミシシッピ州の田舎生まれ。しかし本人は、自分のことをテネシー州メンフィスの生まれだと考えていた。ジェイミソンと母親のドロシー(1932年-2009年)がメンフィスに移ったのは彼が生まれた一日後のことだったのだ。十代の頃、独学でギターとピアノの弾き方を覚えたのだが、歌唱力については時間をかけて磨きをかけていった。中学校に上がるまでにもうバンドでの演奏を始めていた。

1970年代の終わりには、メンフィスで活動していたバンド、ターゲットのヴォーカルを務めていた。その後、1980年代初期にはより知名度があった、コブラというバンドのリード・シンガーとなっていた。その後、様々な成功したミュージシャン達、例えばZZ Topやジョー・ウォルシュなどのバックグラウンド・ヴォーカルを務めている。
サヴァイヴァーに加入

1984年にコブラが活動を停止した後、ジェイミソンはサヴァイヴァーに誘われる。サヴァイヴァーは、ナンバー・ワン・ヒットである「アイ・オヴ・ザ・タイガー(この曲の発表時のヴォーカルはディヴ・ビックラーだった)」を出した後、どんどん人気が衰え続けていた。ジェイミソンが慣れ親しんでいたコブラのヘヴィ・メタルなスタイルとは全く対照的なスタイルである、ジェイミソンからすれば「ポップ・ロック」なスタイルを取るサヴァイヴァーのヴォーカルをやることに最初はあまりこだわりはなかったのだが、結局はバンドに加わり新たなリード・ヴォーカルとなった。

ジェイミソンはサヴァイヴァーにすぐさま活気をもたらした。バンド加入後に発表されたアルバム「ヴァイタル・サインズ」(通算5枚目のアルバム)からは数曲のシングルが大ヒットしたのである。こうしてバンドはスターの地位に、もう一度それもあっという間に返り咲いた。ジェイミソン加入後の2枚目のアルバム「ホエン・セコンヅ・カウント」(通算6枚目のアルバム)からは、新たに「イズ・ディス・ラヴ?」がトップ10入りした。このアルバムではまた、ジェイミソンが作曲面でバンドに貢献していることが見て取れる。ジェイミソンは4曲を共作しており、その中にはもう一つの印象的なシングル曲、「マン・アゲンスト・ザ・ワールド」がある。

ジェイミソンがサヴァイヴァーと一緒に演奏する際に要求された最大の妥協は、自分以外の作者が書いた曲の演奏を諦めることだった。「たまにアンコールを始めようという時に、誰かが『レッド・ツェッペリンをやろうぜ!』って言うんだ。」ジェイミソンが1987年にナイン・オウ・ワン・ネットワーク誌に語っている。「それで、『イェー、イェー』ってうなずきたくなるんだよ。それからもうぎりぎりの最後になって『いや、代わりにこっちの曲をやったほうがいいよ』って言うことになるんだ」

ジェイミソンの歌で最も良く知られているのは、シルヴェスター・スタローンの「ロッキー4」の映画で使用され、映画のサウンドトラックにも含まれている「バーニング・ハート」である。ビルボード最新ヒット100で第2位まで昇っている。その他、「ハイ・オン・ユー(アメリカ国内のチャートで第8位)」、「ザ・サーチ・イズ・オウヴァー(アメリカ国内のチャートで第4位)」、そして映画「カラテ・キッド」で使用された「ザ・モウメント・オヴ・トゥルース」などがある。

1988年には新しいアルバム「トゥー・ホット・トゥー・スリープ」が発売された。これは、サヴァイヴァーの1980年代の最後のアルバムとなった。ジェイミソンとバンド仲間達は、このアルバムをこれまでの中で最も優れたものだと考えたのだが(後にジェイミソンは過去を顧みて語った時に、サヴァイヴァーのアルバムの中で一番好きなアルバムだと言っている)、実際は、レコード会社が積極的に販売促進をせず、結果として以前のアルバムのような成功を収めることができなかった。結局、バンドは1993年まで活動を停止することとなった。