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パディ・ケイシー( Paddy Casey )



アルバムリスト
歌手の紹介


パディ・ケイシー ('Paddy Casey')はアイルランドダブリン出身のアイルランド人ミュージックアーティスト、シンガーソングライター。

バイオグラフィー

最初のギターを手にしたのは彼が12歳の頃だった。その後すぐに家を離れ、路上ライブ(バスキング)などで演奏を12年間続ける。24歳の頃ダブリンにあるインターナショナル バーで、シンガーやシンガーソングライター達の当時ホスト役を務めていたデイブ マーフィー(Dave Murphy)によってナイトパフォーマンスを行なっていた彼に、ソニーレコードミュージック会社でA&Rをしていたヒュー ムレイ(Hugh Murray)によってスカウトされる。パディを発見したソニーは、サン スタジオ ダブリンというスタジオを彼に与え、そこでパディは2日間で9曲をレコーディング。このトラックを非常に好んだソニーはそのままの状態で発売することに決定した。これを機にソニーからレコーディング契約のオファーを受け、後に"U2"のマネージメント会社の元で契約を結ぶことになる。

1999年にデビューアルバム、アーメン(ソー・ビー・イット) 'Amen (So Be It) ' を発表。プロデューサーのパット ドン (Pat Donne)に手掛けられたこのデビューアルバムはトリプル プラチナムとしてアイルランド国内、世界的にも広く認められた。短期間のレコーディングにも関わらずケイシーは様々な楽器を全て自ら演奏している。トラック曲のウインター・ファイアー 'Winter's Fire' ではマンディ(Mundy)がゲストギターリストとして共演した。スイート・スバーバン・スカイ 'Sweet Suburban Sky' では、アメリカのティーンの間で人気のテレビドラマDawson's Creekのサウンドトラックとして選ばれ、翌年初の賞を獲得した。アイルランドの音楽雑誌ホットプレス(Hot Press)からはベスト アイリッシュ シンガーソングライター、ベスト アイリッシュシンガー男性部門としてホットプレス賞を受賞。またホットプレス購読者からの投票の中のアルバム部門では、ベスト デビューアルバム、最も将来有望なシンガー、その他7つのカテゴリーに渡り次々とノミネートされた。当時ツアー中だったアール イー エム(R.E.M.)、イアン ブラウン(Ian Brown)、アニ ディフランコ アンド ザ プリテンダース(Ani DiFranco and The Pretenders)のサポーターとしても活躍した。

ケイシーは、2003年にセカンドアルバムのリビング 'Living' (多種のプラチナアルバム)と共に戻ってきた。プロデューサーはフレッド デ フェイエ(Fred De Faye)、パディ ケイシー(Paddy Casey)、パット ドン(Pat Donne)。アルバムの中の曲で、セイント・アンド・シナース 'Saints and Sinners'、ラッキー・ワン 'Lucky One' 、ベンド・ダウン・ロウ 'Bend Down Low' が2003年に、翌年の2004年には、ウォント・イット・カーント・ハブ・イット 'Want It Can't Have It' は大ヒットを引き起こしアイルランド国内でチャート入りをした。アルバム 'リビング' 発売後も年間を通し21週間連続して上昇し続け見事にトップテン入りを果たした。これを讃えられて2004年にはメテオ アイリッシュ アワード男性部門で連続して「ベスト アイリッシュ」賞が贈られた。またその夏に開催されたオクセジャン フェスティバルOxegen Festival(ミュージックフェス)で彼のパフォーマンスは人々からグッドレビューとして注目を集め、アルバムの 'リビング' は更に上昇した。コンサート会場 オリンピアシアターOlympia Theatre (現在Three)で一週間連続してライブを行なった。年の暮れにはダブリンRDSのコンサートチケットも完売させ、アルバムの売り上げは国内で最高値に達した。

2005年は広範囲に渡り国内と海外でアルバム 'リビング' ツアーを続行、その年に開催されたハイネケン グリーン エナジー フェスティバルHeineken Green Energy Festivalではヘッドラインを飾り、U2のVertigoツアーではサポーターとしてアイルランド、スコットランド、ノルウェーの各地で前座パフォーマンスを行った。

2006年パディはレコード制作にあたり、以前デフ ジャム レーベル(Def Jam label)でリック ルビン(Rick Rubin)と共に働いていたジョージ ドラコウリアス(George Drakoulias)と一緒にLAへ渡る。

レコーディングは北ハリウッドにあるデイブズ ブランコ スタジオ(Dave Blanco's Studio)で行われた。そこでは素晴らしいミュージシャンらと一緒に仕事を共にした。(例: ジェームス ガドソンJames Gadson (チャールズ ライト&ザ ワッツ 103rd ストリート リズム バンド&ビル ウィザーズ Charles Wright & The Watts 103rd Street Rhythm Band & Bill Withers)スティーブ フェロンSteve Ferrone(アベレージ ホワイト バンドAverage White Band,トム ペティTom Petty)これ以外にも多数。この後、彼のキッチンでアルバムを終わらせる為にアイルランドに戻ってきた彼は、アーメン 'AMEN' のプロデューサーを担当したパット ダンと一緒に残りのアルバム制作を仕上げる。2007年9月7日にアイルランドでタイトル名 アディクティット・トゥ・カンパニー(パートワン) 'Addicted To Company (Part One)'、2008年4月1日にはアメリカで発売された。

2008年4月3日、パディはアメリカCBSトークショウ番組'Late Show with David Letterman'の中でもパフォーマンスを行った。

アメリカから帰国したパディは、ポール マックギネス(Paul McGuinness)とソニーから離別することを選び、それ以降は作詞とレコーディングを自宅で開始している。 アルバム制作のレコーディングは、作詞したその日に歌やトラックを収録する、という構成を決めている。彼がハッピーだった、かつてコレクションをした古き友のパット ドン(Pat Donne)を呼んでレコーディングのミックスを一緒に始め、2012年11月、独立以来長く待った はじめてのアルバム、ザ・シークレット・ライフ・オブ 'The Secret Life Of' と、2012年5月、シングルのウェイト 'Wait' (ゲスト出演 ザ シャンノン ゴスペラーズ コアーThe Shannon Gospel Choir)を発表した。

現在彼はミックスとレコーディングをしながら新作アルバム(未タイトル)を制作中、2015年夏の終わりに発表することを期待している。

ケイシーズ バッキング バンドは、ドラムのティム マックグレース(Tim McGrath) 、パーカッションのシオン オガラハン(Cion O’Callaghan)、キーボードとバックコーラスのフィオーナ メラディ(Fiona Melady)、ベースとバックボーカルのジョン コルバート(John Colbert)、ギターとバックボーカルのアンディ コーガン(Andy Coogan)and フルートとトランペットのジョナサン オハロラン(Jonathon O’Halloran)で構成されている。パディ ケイシー(Paddy Casey)を含めデューク イリングトン(Duke Ellington)、ジョン マータン(John Martyn)、ザ ウォーター ボーイズ (The Waterboys)、プリンス(Prince)、スライ アンド ザ ファミリー ストーン (Sly & the Family Stone)らの影響を受けている。