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ザ・クラッシュ( The Clash )



アルバムリスト
歌手の紹介


ザ・クラッシュ(The Clash)は、1976年 - 1986年にかけて活動した、イングランド出身のパンク・ロックバンド。

概要

セックス・ピストルズと並んで、最も成功したパンクバンドの一つであり、また時代を象徴するロックバンドでもある。デビュー・アルバムは典型的なパンクだったが、徐々にレゲエやダブ、ゴスペル、フォーク、R&B、ロカビリー、ジャズ、スカ、カリプソといった様々な音楽的要素を取り入れ、ついに3作目『ロンドン・コーリング』では独自の個性を確立、シーンに大きな影響を与えた。また、ステージ上での激しいパフォーマンスも人々に記憶されている。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第28位。

来歴

1975年、ミック・ジョーンズは“LONDON SS”というバンドで活動し、マネージャーはのちにクラッシュのマネージャーになるバーニー・ローズであった。“LONDON SS”のボーカリストのオーディションにポール・シムノンが参加し、ジョーンズと知り合う。一方、ジョー・ストラマーはそこそこ人気のあったパブロック・バンド“101'ers”のボーカリストとして活動していた。

1976年、“LONDON SS”は解散。バーニー・ローズは引き続きジョーンズのマネージャーを務め、新たにバンドを結成すべくジョーンズと画策する。同年2月にピストルズを見て衝撃を受けたジョーンズは、ピストルズと同じ方向性を目指すことを決意。ギターを全く弾けなかったシムノンに声をかけ、ギターよりも簡単なベースの担当とし、ボーカリストを本格的に探し始める。ほどなくして“101'ers”の演奏を見てストラマーを気に入った3人は、終演後にストラマーを呼び出し、“101'ers”を辞めて自分たちのバンドに参加しないかと打診。48時間以内に返事をするよう言い残して立ち去るも、最初の24時間でストラマーが参加することを決断し、クラッシュが誕生することとなる。

同年7月4日、ピストルズと共にシェフィールドのホワイト・スワンで初ライブを行う。1977年1月25日、CBSレコードと契約する。尚、契約当時には既にレヴィンは解雇、チャイムズは脱退しており、契約後に正式メンバーとしてトッパー・ヒードンが加入する。

イギリスにおいては、1stアルバム『白い暴動』から非常に高い人気を獲得する。

その後、クラッシュは音楽性の幅を広げ、他のパンクバンドとは一線を画した作品をリリースすることになる。3rdアルバム『ロンドン・コーリング』ではアメリカでも広く知られるようになり、今までパンクをこき下ろしてきたイギリスの音楽批評誌にも絶賛されることとなる。

4thには3枚組の意欲作『サンディニスタ!』を発表。本国だけではなくアメリカでも次代を担うバンドの一つとしての評価を確立する。

しかし1982年、アルバム『コンバット・ロック』発売前に、バーニー・ローズの発案で、話題づくりのためストラマーが失踪。このことがきっかけとなりメンバー間に不協和が生まれ、『コンバット・ロック』発売直前にトッパー・ヒードンがヘロイン中毒により脱退、1983年3月28日にカリフォルニア州サンバーナーディーノで開催されたUSフェスティバルを最後にジョーンズがグループをクビになってしまう。

ストラマーとシムノンは新メンバー3人を迎えた新体制で再出発を図るが、発表したアルバム『カット・ザ・クラップ』はメディア、ファン両者の支持を得られず、結局バンドは解散する。
ロックの殿堂入り

2002年11月に、ロックの殿堂入りが発表された。新たに殿堂入りしたミュージシャンは授賞式で数曲演奏するのが慣例であり、クラッシュもストラマー、ジョーンズ、シムノン、ヒードンの4人で再結成することが検討されたが、シムノンが「チケットが2,500ドルもするような、普通のファンが来られない場所で再結成するのは嫌だ」と拒否。

シムノンには代理を立てる方向で調整が進められていたがその矢先にストラマーが、2002年12月22日に、サマセット州ブルームフィールドの自宅で心臓発作により死去。結局、再結成は実現しなかったが、残されたメンバーは「再結成しなくて良かった」と後に語っている。

翌年3月の授賞式には、ジョーンズとシムノン、テリー・チャイムズが出席した。プレゼンターは、U2のジ・エッジ。

メンバー
(デビューメンバー)
ジョー・ストラマー(Vo/G)
ミック・ジョーンズ(G/Vo)
ポール・シムノン(B)
トッパー・ヒードン(Ds)