Mojim 歌詞
Mojim 歌詞 > 欧州米国の歌手 > ナナ・ムスクーリ( Nana Mouskouri ) > 歌手の紹介

ナナ・ムスクーリ( Nana Mouskouri )



アルバムリスト
歌手の紹介


ナナ・ムスクーリ(Nάνα Μούσχουρη [ˈnana ˈmusxuri] 、ラテン文字翻字: Nána Moúschouri、ただし本人使用のラテン文字表記: Nana Mouskouri、1934年10月13日 - )は、世界的に有名なギリシャ人の歌手。政治家としても多少活動している。本名はヨアンナ・ムスクーリ(Ιωάννα Μούσχουρη [ioˈana ˈmusxuri] 、ラテン文字翻字: Iōánna Moúschouri)。

歌手活動

1957年に、ギリシャ語と英語で録音された「Fascination」で、レコードデビューを果たす。翌1958年には、作曲家マノス・ハジダキス と出会い、歌声を評価される。そして、マノス・ハジダキス 作曲の「Kapou Iparchi Agapi Mou」を発表し、初のチャート1位を獲得。その名が知られるようになった。その後も好調なセールスを見せ、パリのレコード会社・フィリップスフォンタナと契約を結んだ。

1962年ジョルジュ・ブラッサンスとオランピア劇場で共演。

1963年には、生活の拠点をパリへ移す。同年のユーロビジョン・ソング・コンテストでは、ルクセンブルクから出場。ここで「À Force de Prier」を披露し、高い評価を獲得。この曲で、フランスのGrand Prix du Disque(フランス・ディスク大賞)を受賞した。

また同年、国連難民救済機関(現在のUNHCR)からチャリティー企画された、『All Star Festival』というLPアルバムに参加し、「Ximeroni」を収録した。このアルバムには、ルイ・アームストロング、モーリス・シュバリエ、ナット・キング・コール、ビング・クロスビー、ドリス・デイ、エラ・フィッツジェラルド、エディット・ピアフ、マヘリア・ジャクソン、カテリーナ・バレンテ、アン・シェルダン、パティ・ペイジなどそうそうたるアーティストが名を連ねている。

1965年、2枚目の英語アルバム『Nana Sings』を、クインシー・ジョーンズのプロデュースにより、アメリカでリリースする。ハリー・ベラフォンテは、これを大いに評価した。これをきっかけとしてムスクーリは、彼の北米ツアーに参加した。またライブデュオアルバム『An Evening With Belafonte/Mouskouri』を発表する。このときのツアーにおいて、ベラフォンテが、ムスクーリのトレードマークであるメガネを、舞台上で掛けないよう彼女に注意した。ムスクーリはこれに大きな不満を抱いたという。結局、ベラフォンテは折れて、彼女の考えを認めた。これ以前にも、フランスのプロデューサーらが、彼女をメガネなしの流行アイドルとして売り出そうとしたが、ムスクーリ自身がメガネは自分の一部であると主張して、これを断固拒否した。

1967年、フランスでアルバム『Le Jour Où la Colombe』を発売する。このアルバムでは、「Le Temps des Cerises(さくらんぼの実る頃)」といったフレンチポップの曲も披露し、大きなヒットを記録した。同年には、パリのオランピア劇場に、ジルベール・ベコーの前座として3週間共演した(1969年以降は自身のステージとして、オランピア劇場では何度も公演をしており、ここでのコンサートの模様が収録されたレコード・CDも数多くリリースされている)。このころ、長男ニコラスを出産した。メガネをかけながら身重でオランピアのステージに立った。

その頃、イギリスBBCのプロデューサー、イヴォンヌ・リトルウッドにスカウトされて、BBCの番組『Presenting Nana Mouskouri』『Nana and guests』の司会を務めた。1969年には、アルバム『Over and Over』をイギリスでリリースし、2年間ヒットチャートに残るほどの大ヒットを記録した。

1974年にはニュージーランド、オーストラリア、日本(中野サンプラザ)を廻るツアーを行った。

1979年に発表した、英語のアルバム『Roses and Sunshine』は、ニール・ヤングやボブ・ディラン、ジョン・デンバーなどの音楽性を下地にして、フォークやカントリーソングの要素をとりいれている。このアルバムは世界中でヒットし、特にカナダで高い評価を得た。

1981年のアルバム『Je Chante Avec Toi Liberté』の「Nabucco de Verdi ,Song for liberty, Libertad, Je chante avec liberte(『ナブッコ』行け我が想いよ、金色の翼に乗って、自由よ私はお前と唄う)」も、フランスで高評価を得たあと、各言語に翻訳され、世界中でヒットになった。

1984年には、故国における初の公演を行うため、ギリシャに戻った。このコンサートはDVDとしてリリースされていて現在も入手できる。

1985年、BBCのテレビシリーズ用に「Only Love(オンリーラブ)」をレコーディングし、イギリス音楽チャートの1位に登りつめた。また、フランス語バージョンの「L'Amour en Héritage」も大ヒットした。同年には、スペイン語のシングル「Con Todo el Alma」もリリースし、スペイン、アルゼンチン、チリで大成功を収めた。

1987年には、韓国、台湾、シンガポール、香港、マレーシア、タイなどのアジアで、コンサートツアーを行った。

1988年、古典オペラなどを収録した2枚組アルバム『The Classical Nana(別名:Nana Classique)』を発売した。古典的な曲に着目した作品である。