Mojim 歌詞
Mojim 歌詞 > 欧州米国の歌手 > ABBA( アバ ) > 歌手の紹介

ABBA( アバ )



アルバムリスト
歌手の紹介


ABBA(アバ)は、スウェーデンのポップ・ミュージックグループ。男女2名ずつの4人組でグループが構成され、1970年代にヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア及び日本で絶大な人気を獲得し、シングルとアルバムの総売り上げは3億7000万枚を超え、世界で最も売れたアーティストに名を連ねている。2010年に、ロックの殿堂入り。また、マドンナやレディー・ガガなど多くのアーティストがABBAの影響を受けたと語っている。

メンバー

アグネッタ・フォルツコグ(Agnetha Fältskog)
ビョルン・ウルヴァース(Björn Ulvaeus)
ベニー・アンダーソン(Benny Andersson)
アンニ=フリッド・リングスタッド(Anni-Frid Lyngstad)

グループ名の由来は、メンバー4人の頭文字を取ったもの。元々は、「Björn & Benny, Agnetha and Anni-Frid」という長い名前だったが、ある日マネージャーのスティーグ・アンダーソンが、何かの書類に彼らの名前を記入する際に、適当にイニシャルを並べて「ABBA」と書いたことから、それがグループ名になった。ビョルンとベニーが曲を作り、アグネッタとフリーダ(アンニ=フリッド・リングスタッドの通称)が歌う(一部、ビョルンやベニーが歌っているものもある)。

1972年に、ビョルン&ベニー名義で「木枯らしの少女」が日本でヒットした。その後、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974での優勝をきっかけに、「恋のウォータールー」が大ヒットし、ヨーロッパ中で知名度が高くなったが、日本ではこの頃まだ知名度は低かった。さらにABBAは、「SOS」がイギリスを含む全ヨーロッパで大ヒットした。また、オーストラリアは、早くからABBAの人気に火が付いた地域で、後述の「ダンシング・クイーン」がヒットするまで「世界で一番熱心なABBAマニアはオーストラリア」と言われていた。

1976年から1977年にかけて、「ダンシング・クイーン」が全世界的にヒットし、その後「ザッツ・ミー」や「テイク・ア・チャンス」「きらめきの序曲」「チキチータ」「ザ・ウィナー」など、活動を停止するまで世界的なヒット曲を連発した。

さらに、「ダンシング・クイーン」や「ヴーレ・ヴー」「ギミー!ギミー!ギミー!」はディスコでもさかんに曲が流され、70年代後半のヨーロッパでは、ABBAの大成功に刺激されたと言われるユーロ・ディスコのフォロワーを多数産み出した。

グループが活躍していた当時、アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダは夫婦で、ファミリーチームとしての親しみやすさや安心感から、健全なアーティストのイメージが定着し、彼らの世界進出に一役買った。

アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダは後に離婚(それぞれ1979年と1981年)。グループは1982年、新曲として6曲を録音。年末に「最後のテレビ出演」を果たす。そして1983年、活動を突然停止し事実上解散におちいった。

解散から約10年後の1992年、英国のグループであるイレイジャーによって発表されたアバエスク(ABBA-ESQUE、「ABBA風」)を引っ掛けた合成語、ABBA楽曲の全面的なカバー盤)が火付け役となったリバイバルブーム、再評価の動きが起きた。さらに、1992年に発売のベスト・アルバム「ABBA GOLD」が全英1位を獲得、世界中で3,000万枚近くのロングセラーとなり、現在も衰えぬ人気を見せつけた。また、ABBAの代表曲を網羅したミュージカル『マンマ・ミーア!』は、ロンドンでの初演以来世界各地でロングラン公演を続けた。2008年には「マンマ・ミーア! 」として映画化もされた世界各地で公開された。

2013年5月6日、ストックホルムに記念ミュージアム「ABBA THE MUSEUM」が開館した。