1988年にフレッド・エストビー(Ds)、デイヴィッド・ブロムクイスト(G)、ロバート・セネバック(Vo,B)の3人で結成された。2つのデモ・テープ『Dismembered』、『Last Blasphemies』を作成するが、1989年にフレッド・エストビーの脱退により一旦解散してしまう。解散後、フレッド・エストビーはマイケル・アモット、ヨハン・リーヴァらと共にカーネイジを結成する。デイヴィッド・ブロムクイストはエントゥームドに加入するが後にカーネイジに加入する。ロバート・セネバックはアンリーシュドを結成する。1991年にマイケル・アモットがカーカスに加入したためカーネイジが活動停止状態になると、カーネイジのフレッド・エストビー、マッティ・カルキ、デイビッド・ブロムクイストはディスメンバーを再結成し活動を再開し、エントゥームドのニッケ・アンダーソンがギターソロでヘルプしてデモテープ『Reborn In Blasphemy』を作成する。その後、アンリーシュドで活動していたロバート・セネバック(G)とカーボナイズドのリカルド・カベザ(B)が加わる。
1991年にニュークリア・ブラストと契約し、3月にストックホルムのサンライト・スタジオでプロデューサーのトマス・スコッグスベリと共にアルバムのレコーディングを行い、1stアルバム『Like An Ever Flowing Stream』を5月にリリース。このアルバムはエントゥームドのニッケ・アンダーソンがゲストとして、ほぼ全ての曲のギターソロを担当した。アルバムのリリース後、7月にはモービッド・エンジェルと共にヨーロッパをツアーし、デスやカンニバル・コープスらとツアーを行う。
1992年にミニアルバム『Pieces』を3月にリリースし、5月から7月にかけてナパーム・デス、オビチュアリーらとヨーロッパツアーに出てライブバンドとしての力を着実に付けていくが、7月にイギリスで1stアルバム収録の「Skin Her Alive」の歌詞が残虐すぎるという理由で罰金を課せられることになったが、後に裁判で勝利する。この事件がきっかけでディスメンバーの名前が広く認知されることとなった。
1993年に2ndアルバム『Indecent & Obscense』をリリースすると「Dreaming in Red」のPVがMTV Headbangers Ballで頻繁に流された。そして、初めてのアメリカツアーをサフォケイション、ディーサイドら行い、アメリカから戻ってからはヒポクリシー、アモルフィス、ベネディクションらとヨーロッパツアーを行う。1995年には、ミニアルバム『Casket Garden』をリリースし、その後3rdアルバム『Massive Killing Capacity』をリリースする。
『Hate Campaign』リリース後、レコード会社から満足なサポートを受けられず関係が悪化していたバンドは、新たにカルマゲドン・メディアと契約を交わし、2004年3月に再び初期の頃のサウンドに回帰した6thアルバム『Where Ironcrosses Grow』をリリース。2003年5月27日にストックホルムで行われたライブの模様を収めた2枚組DVDをリリース。2005年には再度レコード会社をリゲイン・レコードに変え2006年2月に7thアルバム『The God That Never Was』をリリースし、9月にロシア、10月にヴァイタル・リメインズらとのアメリカへのツアーを行い、11月にはグレイブ、アンリーシュド、エントゥームドらとの「Masters of Death」ツアーを行った。
2007年に、オリジナルメンバーのフレッド・エストビーが脱退し、トマス・ダウンが加入した。2008年には、バンド名を冠した8thアルバム『Dismember』をリリース。2009年にライブDVD『Under Blood Red Skies』をリリースした。
2011年10月16日に、解散が発表された。
解散時のメンバー
マッティ・カルキ Matti Kärki (Vo) (1991 - 2011)
カーネイジやセリオンでも活動していた。アット・ザ・ゲイツの2ndアルバム『With Fear I Kiss the Burning Darkness』でバック・ボーカルとして参加。