1962年に本格的に音楽活動を開始。メンフィスを拠点に1960年代中期よりスタックス・レコードでスタジオ・ミュージシャンとして活動し、オーティス・レディングやウィルソン・ピケット等と共演。ソングライターのデイヴィッド・ポーターと共に'You Don't Know Like I Know'、'Soul Man'、'When Something Is Wrong with My Baby'や'Hold on I'm Comin''(全米21位、R&Bチャート1位)といった楽曲をサム&デイヴに提供し、ポーターやスタックスのスタジオバンド、ブッカー・T&ザ・MG'sとサム&デイヴ、カーラ・トーマスや他のスタックスのミュージシャンをプロデュースし、スタックスに名声を寄与していった。
1968年にデビュー作『Presenting Isaac Hayes』をリリースしたが、商業的には成功しなかった。次作『Hot Buttered Soul』を1969年にリリースし、ヒットする。トリプル・プラチナ・ディスクに輝いた。スタックスは1967年にアトランティックより独立して間もない時期であり、版権も殆どアトランティックに渡っていた。加えて、同じ年に稼ぎ頭のオーティス・レディングが航空機事故で亡くなり、スタックスが危機的な状態でのヒットであった。結果として、スタックスの副社長のアル・ベルは27枚の新しいアルバムを1969年内に完成するように求め、『Hot Buttered Soul』がそれらの中で最も成功した。
1971年、映画『黒いジャガー』の音楽を制作。サウンドトラック・アルバムは全米1位・全英17位に達し、グラミー賞 映画・テレビサウンドトラック部門とゴールデングローブ賞 作曲賞を受賞。テーマ曲「黒いジャガーのテーマ(Theme from Shaft)」も全米1位を獲得し、アカデミー歌曲賞やグラミー賞のインストゥルメンタル・アレンジ部門を受賞。また、1971年発表のオリジナル・アルバム『Black Moses』も、全米10位の成功を収め、グラミー賞のポップ・インストゥルメンタル部門を受賞。
2008年8月10日、アイザックはメンフィスの自宅のベッドルームに置かれているランニング・マシーンでエクササイズ中に倒れた。午後1時ごろ、外出先から帰宅した家族に発見され、病院へ緊急搬送されたが、そこで死亡が確認された。後に死因は脳梗塞であることが発表された。65歳没。 ディスコグラフィ 「en:Isaac Hayes discography」も参照 スタジオ・アルバム
Presenting Isaac Hayes (1967年) Hot Buttered Soul (1969年) The Isaac Hayes Movement (1970年) ...To Be Continued (1970年) Black Moses (1971年) Joy (1973年) Chocolate Chip (1975年) Disco Connection (1975年) Groove-A-Thon (1976年) Juicy Fruit (1976年) New Horizon (1977年) A Man and a Woman ( 1977年) - ディオンヌ・ワーウィックとの連名 For the Sake of Love (1977年) Don't Let Go (1979年) And Once Again (1980年) Lifetime Thing (1981年) U-Turn (1986年) Love Attack (1988年) Raw and Refined (1995年) Branded (1995年)