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Johnny Ohkura



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Singer Intro


ジョニー 大倉(ジョニー おおくら、1952年9月3日 - 2014年11月19日)は、ミュージシャン、俳優。本名:大倉 洋一、韓国名:朴 雲煥(박운환 / パク・ウナン)。神奈川県川崎市出身。在日韓国人2世。血液型AB型。左利きであるが、ギター演奏は右へ矯正していた。身長172cm、体重67kg(1982年)。

来歴・人物

川崎市立川崎高等学校出身。1971年に矢沢永吉らとキャロルを結成し、当初は内田裕也へプロデュースの依頼を検討したものの結局はミッキー・カーチスのプロデュースでデビュー。キャロルでは、ギターと作詞を担当。矢沢永吉と共に曲作りのコンビを組んで、1973年には「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの大ヒット曲を生み出した。はっぴいえんど等が日本語をロックの音楽にのせるために奮闘していた時代に、堂々と日本語と英語をミックスした曲を作詞した草創期の人である。1975年にキャロルによる共著『暴力青春』で在日韓国人二世であることをカミングアウト。

同年にキャロルを解散した後は、ソロでの音楽活動を始めるとともに俳優業にも手を広げる。1975年に本名の朴雲煥で、在日韓国人をテーマにした『異邦人の河』に主演。1981年に映画『遠雷』で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞するなど一定の評価を受けた。1980年代からは個性派の俳優としてヤクザ映画のオリジナルビデオ作品などに出演している。

キャロル在籍中の1973年には1か月失踪。同年から、山本寛斎へのショー出演の演出のために極真空手をキャロルのメンバー全員で習い始め、その後も精神の安定を図るべく空手のトレーニングを行うようになる。日本で広く一般的に筋トレが定着し始めたのは、1976年創刊の雑誌『POPEYE』が、特集を何度も組んだことが大きいと思われるが、その『POPEYE』誌上でも鍛え上げられた肉体を度々披露。あまり認知されていないが、肉体派タレントの先駆者の1人でもある。ブルース・リーの主演作『死亡遊戯』(1978年日本公開)の出演者オーディションを受験したが合格はならなかった。しかし同映画の先行試写「香港ワールド・プレス・プレビュー」に参加した際には映画を絶賛するコメントを寄せていた。[要出典]

1987年10月、富山市のホテル7階のベランダの手摺りで懸垂中転落し、全治6か月の重傷を負った。ホテルの部屋なので筋トレの器具が無かったため、ベランダの手摺りを利用したらしいが、2001年に放送が始まったTBS系列の番組『サンデージャポン』にレポーターとして出演した時には、「不死身のロックンロールジャーナリスト」と自称した。また2004年には窪塚洋介の転落事故に触れ、「彼も僕も(自殺)未遂じゃない。自分もキャロル時代は何かを埋める為に奇行に走っていた」と理解を示した。「あかひげ薬局」の男性イメージキャラクターも務めていた。

1989年 - 1991年、内海利勝、高橋ジョージ、田中清人らとTHE PLEASEを結成。なお、1988年にはPli:z(プリーズ)という同名のバンドがメジャーデビューしている(1992年解散)。

2004年には自叙伝『キャロル夜明け前』を出版し、矢沢永吉との葛藤が話題を呼んだ。この時のレポーターのインタビューで「矢沢永吉の...栄光の全ては認めます....。ただし...キャロルに関しては、いちもつ言いたい事がございます」と話を切り出しジョニーなりの美学を見せた。

2008年12月、公式HPの休止を発表。サイト上には「この日本がこの世界が益々エゴのぶつかり合いを疑わないでやっている」「ボクはまったく、ちぐはぐな今の地球に少々疲れました」「ボクは少しの間、地球を離れます」などと記した。

2009年7月、同年3月に悪性リンパ腫の治療を行った事を公表。

2010年8月10日、公式サイトを再開。

趣味は焼肉のタレの仕込み。「世界で一番うまい」と自負する。趣味が高じて、2006年には新宿、池袋の焼肉店「キャロル」をプロデュースした(2店舗ともに2009年ごろ閉店)。

2013年6月に肺癌と診断されて余命2週間を宣告された後、抗癌剤治療を経て2014年3月に退院。同年8月に再発し、再入院して治療を続けていたが、2014年11月19日、東京都渋谷区広尾の日本赤十字社医療センターで肺炎により死去。62歳没。