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ひめキュンフルーツ缶( ひめキュンフル一ツ缶 )



アルバムリスト
歌手の紹介


ひめキュンフルーツ缶(ひめキュンフルーツかん)は、2010年に結成された愛媛県のローカルアイドルグループ。

概要
ライブハウス松山サロンキティを運営する伊賀千晃(ジャパハリネットプロデューサー)が、キティビル5Fのキティホールを本拠地とした地元アイドルを作るため、友人のメディアプロデューサー・西村重夢と共に立ち上げたアイドルプロジェクト。その後、脚本家・酒井直行が両親の介護のために松山に帰郷した際、地元の疲弊を感じ活性化のためプロジェクトに参加。

2010年8月に愛媛県内に住んでいる10歳から20歳までの女子を対象にオーディションを開催。合格者14名「ひめキュン(正規メンバー)」7名、「ひなキュン(研修生)」7名(大原歩は正規メンバー合格だったが当時小学生のため、後にひなキュンへ移動)は週3回のペースでレッスンを重ね10月からは松山キティホールを拠点に月1~3回のペースで定期公演を行いつつ、市内の商店街やボウリング場、車の展示場などのイベントに参加し、生ライブを行ったり愛媛の観光や特産品のPRなど地元に密着した活動を行った。翌2011年にはCDデビューが決定し、リーダー阿部愛友実、センター岡本真衣などのオリジナルメンバー6名と、ひなキュンより昇格した谷尾桜子、菊原結里亜の2名を加えた計8名で1stシングル「恋愛エネルギー保存の法則」を発売した(オリコンインディーズチャート初登場1位)。しかし、その後はメンバーの意識の低さがパフォーマンスにも影響し、チャートでも結果を残せず長らく伸び悩む状態が続いた。そして2011年11月に当時ナンバー4であった長谷部萌香が学業専念のため卒業。さらに2012年3月にはリーダーの阿部愛友実と歌唱力選抜の渡部恵美奈がソロで活動するため脱退するなど、主力メンバーの相次ぐ卒業によりひめキュンは解散寸前にまで追い込まれた。残されたメンバー5人はこのまま続けるのか辞めるのか選択を迫られたが、「ここまで来たら続けたい」「辞めたメンバーを見返したい」と前進することを決意し、早急に5人体制の新生ひめキュンの形成を開始した。2代目リーダーには最年長の谷尾桜子が就任したが、初代リーダーに頼りすぎてしまった過去の教訓により「リーダーというのは名前だけで、メンバー1人1人が頑張ろう」と約束し、よりハイレベルなダンス&ボーカルを追求したレッスンを行った。楽曲も徐々にハードなロックナンバーが増えていき、なおかつダンスもハードなものへの進化し「最強のご当地アイドル」と呼ばれるようになった2013年には徳間ジャパンの目に留まり、ついに念願のメジャーデビューを果たした。メンバー5人のキャラ役割も色濃くなり、全国メディアへの露出も増えた。また、2011年にはひなキュンより選抜した4名で姉妹グループ「nanoCUNE」を結成。さらに2012年にはひなキュンより選抜した2名で2組目の姉妹グループ「FRUITPOCHETTE」を結成。さらに2013年には一般公募より募った14名で3組目の姉妹グループ「AiCune」を結成した。ひなキュン解体により、ひめキュングループのメンバーは全員いづれかのユニットに参加している。

ひめキュングループには、地元の新聞「愛媛新聞社」がバックアップ体制をとるほか、「松山銀天街」「大街道商店街」「まつちかタウン」などの商店街・地下街が「ひめキュン応援団」として協力。アーケードの巨大モニターにひめキュンのPVが流れたり、多くの店舗でひめキュンとのコラボ商品や看板が並んでいる。特に松山銀天街ではミニライブのステージ常設のメンバーグッズ専門店「ひめキュンオンラインショップ」が営業しているなどの強力なバックアップ体制をとっている。さらに地元の専門学校「学校法人河原学園」の国際デザイン・アート専門学校が衣装デザインと製作を、国際トータルビューティカレッジの講師と生徒が公演のヘアメイクを手掛ける。(「恋の微熱」以降は専門学校松山ビジネスカレッジが衣装デザインと製作を行う)また、地元の剛腕プロデューサー、作詞・作曲家、音楽クリエイター、映像監督がひめキュンを作品を手掛け、プロのボイストレーナー、ダンスコーチが専用スタジオで質の高い指導を行っているため、ひめキュンのクオリティは他のローカルアイドルを圧倒する完成度を誇るレベルにまで達している。現在の目標は西日本一の収容人数を誇る地元松山市のひめぎんホールで全国のファンを集めてライブを開催すること。最終目標は全国制覇すること。